セルフハンディキャプションと栗城史多(追記:2017.5.29 22:00やっぱり下山宣言確認)

昨年の秋も栗城史多について記事にしました。別に彼に恨みもないし、畑も違いますが、彼のやっていることはどうしても納得いきません。昨年秋にエベレスト単独無酸素登頂に6回目のチャレンジをして、あえなく失敗。今年は春に挑戦と言っていました。今まさにチャレンジ中です。彼のfacebookでその様子がときどきアップされますが、また、恐らくは失敗でしょう。

(→2017.5.29 22:00現在予想通りの下山宣言を確認しています。彼の言い訳、泣き言を聞きたい方はfacebookを確認して下さい。i「次回」という言葉を連発していますが、「次回」ってあるの?怒りを通り越してかわいそう、哀れに感じます。彼と「冒険の共有」をまだし続ける人がいるのでしょうか?まずは普通に登ってみたら?)

この春に私自身は未確認ですが、すでに何百人と言う人がエベレスト登頂に成功しているようです。もちろん亡くなられた方もいらっしゃいます。そんな、死ぬかもしれない危険なことに敢えて挑戦していることにはある意味敬意を表したい気持ちもありますが、逆にだからこそ、彼のようなカッコ良さを求めているのか、承認欲求の塊なのかはわかりませんが、できもしないエベレスト単独無酸素での登頂に挑戦している、なんてことを言って欲しくはありません。

彼は完全に「セルフハンディキャプション」を前面に出しています。「セルフハンディキャプション」というのは、何かをやる前にまず自分に「ハンディキャップ」があることを示します。例えば、私がフルマラソンのレースの前に「実は体調が悪くって」とか「仕事が忙しくてほとんど最近走れてなくて」とか「3日前から膝が痛くて」などと言って、実際のレースで記録が悪い時には、やっぱり駄目だったと言い訳できるし、良いタイムで走れたときには、あんな状態だったのに、と評価を上げられるのです。彼の場合非常に難しい「単独」「無酸素」での登頂に挑戦すること、そして、ほとんどの手の指がないことです。これを示すことにより、失敗しても、「誰もできないようなことに挑戦した」「指があれば登頂できたかも?」などの言い訳ができます。そして万が一成功した場合には「指がないのに成功した」と評価を上げることができます。非常に醜いです。

今回の登山中にも何度か具合が悪くなっているようですが、それは簡単に言えば高所への順応が上手く行かなかったのです。もう7回目なのにそのことさえできていません。しかし、自分ではそれを認めてはいないのか、はっきりとそのことを言及しません。どちらかというと、「俺はそんなに困難なことに挑戦しているんだぞ!」と言いたげな、まさに「セルフハンディキャプション」を上塗りしています。彼が具合が悪い中、多くの人たちは続々登頂に成功しています。

facebookのコメントを見ると昨年までよりも、だんだん彼の行動が詐欺であるかのようなことに気づく方が増えているような気がします。しかし、まだ応援している人がいることには非常に驚いています。

栗城史多の登頂の様子を追っているブログを読んでみてください。もちろん、この方が言っていることが全てとは思いませんが、いかに栗城史多という人が登山家として「3.5流レベル」、マラソンで言えば「市民ランナー」レベルなのかわかります。

反面教師にはもってこいの人物かもしれません。

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