昨年もエベレストに挑戦し、途中で断念し下山。今年も6回目の挑戦でまたもや下山。完全に詐欺師です。
公式ホームページに書いてあることはさすがにかっこいいです。しかし、春にもまだ登れていないのですから、まず春に無酸素、単独登頂をしてみたらどうでしょうか?まあ、それもできないので最初からかなりハードルを上げて、登頂できない言い訳を用意しておいて、登頂断念が前提で登るふりをして、下山後「挑戦」というかっこいい話をしてお金を儲ける、毎回同じ方法です。しかし、まだこの方を応援する人がいるのには驚きです。
否定という壁への挑戦
些細なきっかけから登山と出会い、一つ一つの山を登る中でいつしか海外登山に憧れはじめました。
大学3年の時に単独で念願の北米最高峰マッキンリー6194mに単独で向かおうとした時、周りからの声は応援ではなく、否定の声ばかりでした。
その時間は一人で山にいる時よりも最も孤独な時であり、目の前にまさに否定という壁がそびえ立ってました。
出発直前の空港で、父から電話で一言「信じてるよ」という言葉をかけてもらい、僕は一歩踏み出すことができ、そして今の自分がいます。
最近は講演で学校や企業に行くと、「失敗は悪。失敗が怖い。できない。だからやらない方がいい」という否定の壁をよく感じます。
否定という壁が多くなれば、挑戦だけではなく夢や目標を持たせない世界になってしまいます。
今まで山を登ってきて最も心に残っているのは、登頂した山よりも登ることができなかった山の方かもしれません。
それは決して苦い思い出としてではなく、自然の偉大さに触れ、謙虚さ、優しさを教えてくれました。
つまり、何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。
しかし、挑戦そのものを否定してしまえば、成功も失敗も何も得ることはできません。
その否定という壁を冒険の世界を通して少しでも無くし、応援し合う世界に少しでも近づきたい。
その想いから、2009年からは「冒険の共有」という秋季エベレスト生中継・配信に挑戦してきました。
冒険の共有は、ただ登る姿を見せる登山でも、流行りの配信でもありません。
挑戦における、失敗と挫折を共有します。
なぜなら本当の挑戦は、失敗と挫折の連続だからです。
それを共有することで自分と同じように今、否定という壁に向かっている人、見えない山を登る全ての人達の支えになり、自分の山登り(人生)を楽しめる人を増やしていく。
それが、僕が目指す頂の世界です。
冒険の世界では、自然における未踏や未開の地で己の限界に挑戦しますが、僕は人間社会も自然の一部と考えています。自分の限界に挑戦しながらも、人間と社会が持つ心の壁を登ります。
ヒマラヤのような青い空の世界を目指して。
栗城史多
秋季エベレスト無酸素・単独登山の世界
気温−35度、酸素は地上の3分の1、そこにいるだけで肺が押しつぶされそうになるくらい苦しく、容易な生存を決して許さない世界。
世界最高峰エベレスト(8848m)は1953年にイギリス隊が初めて登頂してから、数々の歴史とドラマが繰り広げられ、先人たちの努力とテクロジーのお陰で今は多くの人が登頂し、現在エベレストの登頂者数はネパール側・中国側を合わせて7000人近くと、山頂近くが渋滞するほど登山者が多くなりました。
通常、エベレストは春に登られることが多いですが僕は気象条件が春よりも厳しく、登山隊の少ない秋季エベレストに無酸素・単独で挑戦してきました。
秋季エベレストは、登山隊の多い春よりも気象条件が厳しく、ジェットストリームと呼ばれる強風が吹き荒れ、深い雪が行く手を阻みます。
また冬に向かうため日照時間は短くなり、気圧も下がり、時間が経つほど酸素濃度が下がる厳しい自然環境です。
ベースキャンプから一人で登るために、できる限り食料を削り、1日1個のカップラーメンだけの生活が長くて1週間続く時もあります。
さらに酸素ボンベを持たずに登る無酸素登山は、体内酸素濃度が生存限界ぎりぎりまでに下がり、心臓が張り裂けそうになるほど高鳴り、息をするだけで精一杯の世界。
その逃げ場のない、厳しい環境の中で不安や孤独と向き合うこと。
それはもう一人の自分自身と向き合うことでもあり、自分の中にある生きる力を生み出そうとする不思議な世界です。
登頂した時の強烈な喜びがあるということは、その分の苦しみや困難があるからです。
困難の中に生きる力がある。
山が人間に与えてくれた最大の学びかもしれません。
山の中で自分と向き合い、懸命に生きる。
過程における様々な困難を楽しむ。
それが秋季エベレスト無酸素・単独登山の世界です。
*9月〜11月の秋季に、エベレストの無酸素・単独での登頂者は0人
今回はまだ延期のようでもう一度チャレンジするかもしれませんが、公式ホームページには次のように書かれています。
6800mからのアタックは遠過ぎる。ノーマルルート(チベット側)の最終キャンプは8300m。ルートが違うので単純に比較は出来ないけれどそれでも遠過ぎる。
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2016年10月6日
僕のレベルでは、栗城さんの冒険は理解を遥かに超えています。どう頭をひねってみてもその戦略が僕には見えてきませんが、しかし、冒険はあくまでも自己表現、そして自己責任。栗城さんの冒険は栗城さんが自身の命を賭けた表現です。そっと見守りたいと思います。
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2016年9月28日
と書いています。
登るのは勝手ですが、成功もしていないのにそれをお金集めの手段に使う神経がわかりません。
「市民ランナー」「3.5流レベル」と言われているのがわかります。
よっぽど女芸人のイモトアヤコさんの登山の方が感動するし、話を聞いてみたいです。