24時間テレビのマラソンの意味は?

毎年、24時間テレビでマラソンをやっていますが、24時間かけて100km走ることに何の意味があるのでしょうか?100kmを24時間ということは時速4kmちょっとです。正直マラソンではなく歩いている速度なので、遠足です。通常の100kmウルトラマラソンの制限時間であれば13~14時間くらいなので、完全にアウトですね。

しかも、落語家が走って何だっていうのでしょうか?師匠が病気だから?運動不足の芸能人を捕まえて、無理矢理走らせて、感動できますか?もう、いい加減感動の押し売りはやめてほしいものです。もちろん自分は苦しいので、ゴールした時感動することはわかりますが、こんな作られた感動を喜んで見る人がいるのですね。

それとも、健常者であれば「大して運動をいつもしていなくても、100kmくらい走れるんだぞ!障害者はどうだ?」という裏の意味でしょうか?通常のフルマラソンでも、ウルトラマラソンでも本人は自分のために、自分が好き好んで走っているだけです。オリンピックとかになれば別ですが、市民ランナーのレベルでどんなに頑張って走っても他人は感動しません。「頑張ったね」「すごいね」とは言われるかもしれませんが、その裏では「そんな長い距離走るなんてもの好きだね」という意味が込められています。

健常者が感動的な番組を見て「勇気がもらえる」と発言するのを聞いてどう思いますか?「障害者でもこんなに頑張って生きているんだから、五体満足の健常者であればもっと頑張らなきゃ!」という「勇気」でしょうか?それぞれがどう思うかは自由なので、内心このように思ってもいいと思いますが、そう思わせる番組作りには本当に違和感があります。

前提として、障害者は「不自由」「ネガティブな姿勢」「不幸」というのがあるのでしょう。しかし、健常者はみんな「自由」で「ポジティブ」で「幸せ」なのでしょうか?それはどんな人であれ様々です。

こんな番組が高視聴率を挙げたり、成人した子供の罪を親まで被って謝罪までして仕事も無くなる日本という国は気持ち悪いですね。これはやはり、個人や個性を大事にせず、協調性や和というものを重視して自分を抑えることを良しとしている人間教育の歪みなのでしょう。

それにしても、この24時間テレビ。障害者の側は好意的に受け止めているのでしょうかね?こんなに長い間出演する障害者が絶え間なくいるのだから、本人または親たちは喜んで出ているのかもしれません。それとも、障害者やその親にもギャラが支払われているのでしょうか?本人が楽しく出ているならまだいいですが、今回両足が麻痺している子が悪天候の中富士山を登らされていたようですが、あれは本人の意思は関係なさそうで仕方ありません。親にギャラが渡っているので、親は無理やりにでも登らせなくてはならなかったと推測してしまいます。この番組に出演している芸能人はボランティアではないようですから。ギャラが出ればウソでも涙を出すことは簡単でしょう。マラソンランナーには1000万のギャラと以前の雑誌には書いてあったようですが、実際は知りません。偽物のチャリティー番組は気味が悪いですが、人間の自分は良いことをしているんだという「偽善欲求」を満たすにはいいのかもしれません。

同じ時間帯にNHKが批判的な番組をやっていました。健常者ができることを障害者がやれば「感動的」なのでしょうか?まさに「感動ポルノ」を連続24時間流す異常さ。もう単なる健常者の「自慰」行為ですし、障害者に対する侮辱行為です。

<NHK>「障害者を感動話に」方程式批判

 8月28日(日)22時3分配信 毎日新聞より抜粋

 NHKのEテレの情報バラエティー番組「バリバラ」で28日夜、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した生放送があった。「清く正しい障害者」が頑張る姿を感動の対象にすることを「感動ポルノ」と表現し、「感動は差別だ」との障害者の声を伝えた。同時間帯は日本テレビ系で障害者の姿を伝えるチャリティー番組「24時間テレビ」が放送中だった。

 番組では、自身も障害者で「感動ポルノ」の言葉で問題提起した豪州のジャーナリスト兼コメディアン、故ステラ・ヤングさんの「障害は体や病気よりも、私たちを特別視してモノ扱いする社会の方」との発言を紹介した。

 出演者は「笑いは地球を救う」と書かれたそろいのTシャツ姿。難病の大橋グレース愛喜恵さんを主人公にした模擬ドキュメンタリーも流した。生活の大変さや障害者になった衝撃、明るく前向きな姿を強調。本人の実感や意思を無視して「感動ポルノ」に仕立てられるさまを示した。大橋さんは今回の24時間テレビにも出演した。

 「障害者の感動的な番組をどう思うか?」と健常者と障害者100人ずつに聞いた調査では、「好き」は健常者が45人に対し、障害者は10人。健常者の好きの理由は「勇気がもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」など、障害者は「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」だった。英BBCが障害者を英雄や被害者として描くことが侮辱につながるとしたガイドラインを20年前に策定したことも紹介した。

 出演した脳性まひの玉木幸則さんは番組内で「(障害者と健常者が)同じ人間として怒ったり笑ったり、思いを重ねることがホンマの感動。一方的な感動の押しつけは差別だ」と話した。

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