エビデンスの難しさ

最近の週刊新潮の「糖質制限で『老化する』『寿命が縮まる』」という特集とんでもない記事にビックリとガッカリでしたね。

以前江部先生のブログで、ターザンの2018年4月12日号に掲載された山田悟医師との対談の記事がありました。

このように対談はかみあったのですが、
一点だけ、エビデンス(EBM)に関しては、見解の相違がありました。
山田悟医師は、EBMを大変重視しておられ、医学界においては
エビデンスがないと医療は語れないという立場です。
つまり根拠となる医学論文がないと信頼できないという見解です。

私は、私はEBMを無視することはないけれど
それだけを重視すれば、真実を見失うことがあるという立場です。
例えば生理学的事実が明確であれば、それを根拠に論理的に展開していけば
科学的真実にたどり着けると思います。

このとき江部先生はエビデンスだけを重視しているわけではない、との立場でしたが、今回の週刊新潮の糖質制限批判の記事には黙っていられなかったのでしょう。東洋経済オンラインで猛烈な反論をされています。(記事はここ)ここではエビデンスがないものは科学ではないとおっしゃっています。

あまりにも糖質制限を馬鹿にしたような記事であり、幼稚な内容であったのですが、普通の人が見たら信じてしまう人もいるでしょう。

実は私の知り合いの医師から、このマウスの糖質制限実験の結果がテレビで放送されたときに、「糖質制限が老化を早めるという研究が出たね!」と言われました。その方は、恐らくマウスの実験だとは知らずに私にそう言ったと思いますが、医師でさえ鵜呑みにしかねないのです。内容を十分に熟読しない人もいたのであれば、記事の見出しだけで、「糖質制限は危険だ!」と判断してしまいます。

私も江部先生と同じで、基本的にターザンの記事のときの立場です。つまり、エビデンスは必要であるが、それだけを重視するわけではありません。動物実験がすべて無駄な研究だとも思いません。いろいろな示唆を与えてくれます。「動物でこんなことが起きているのなら、人間でも同じことが起きていたとしたら…?では、人間では実際にはどうなっているんだろう?」と様々な文献を探すこともあります。

しかし、エビデンスが全く必要ではないかというと、必要だと思います。ブログやSNSなどの発達により今では、私を含めて様々な人が様々な情報を発信しています。以前の記事「医療情報サイト「WELQ」問題、本当に問題なのは?」で書いたように信ぴょう性が怪しい医療情報が横行していました。しかし、それが問題となり、現在はこのような情報サイトは極端に減りました。雑誌も同じように内容をしっかりとした情報に基づくべきだとは思いますが、そこには自称専門家や、医師がコメントしてしまっているので、あたかも真実に見えてしまうこともあります。

また、医師のブログなどでも「パラダイムシフト」などと言って、新しい発見をしたつもりになっている記事もあります。しかし、それはその医師個人の見解であり、その方法が本当に有効なのかどうかは「エビデンス」がありません。

「これをしたら患者さんが良くなった!」と言っても、それ以外に、あれもこれもそれもやっていて、本当に効果があったのはどれかわからないものもあります。

私はできる限り、エビデンスと言っても弱いものもありますが、ある程度の根拠を示して自説を記事にすることを心掛けています。

しかし、大規模な研究をすると、個人差が埋もれてしまうこともあります。データを分析してグラフ化したときになだらかな曲線が描かれても、個人レベルではその曲線状にしっかりと乗っているデータはほとんどありません。だから、エビデンスばかりを重要視しすぎると見えないことが出てきてしまいます。

私がときどき行っているn=1の人体実験はエビデンスというレベルではもちろんありません。しかし、何かを考えるきっかけにはなると思い、ときどき行っています。そして、その結果を公表することにより、他の人にも何か考えるきっかけになればとも思っています。

所詮、患者さんをはじめ一人一人の人間は、n=1の状態です。大規模なエビデンスがこうだから、あなたもこうだ!と言われても当てはまらないことはあります。

医学では「パラドックス」という言葉を使って、これまでの仮説を正しいものという前提で、それに当てはまらないものを考える傾向にありますが、実際には元の仮説が間違っているだけのことの方が多いのではないかと思います。

人間という生物は非常に複雑すぎます。これだけで大丈夫、なんてことはありません。医学は未だ仮説に仮説を重ねた理論もいっぱいあります。最初の仮説が覆されたら、そのあとの仮説はすべて意味のないものになることさえあります。

1950年代の脂肪悪玉説がアメリカで唱えられ、脂肪摂取を減らすように世界が動きました。しかし、この元になった研究は、現在ではエビデンスとは言えないものですし、データの操作が行われたことがわかっています。その検証はほとんど行われず、そのまま長い年月がたってしまいました。そして現在になってやっと、脂肪悪玉説は間違いであったことが証明されつつあります。そして現在は糖質悪玉説に変化しました。しかし、長年洗脳されてきた人はなかなかその変化に対応できません。前提となる根拠が間違っていたのに、なかなか受け入れられません。それは、これまでの脂肪悪玉説によってビジネスをしてきた人、おいしい思いをしてきた人たち、糖質悪玉説が広まってもらったら困る人たちが反発して、新しい仮説を信じないように頑張っているのです。

その人たちの糖質制限への妨害行動の一つが今回の週刊新潮の記事だったのです。

エビデンスは必要ですが、現在はあまりにも巨大な企業などが力を持つようになり、真実が曲げられている可能性があります。企業がお金を出した研究の結果がその企業にとって不利になるような内容であることは通常は考えられません。もし結果が思わしくなければ発表しない場合もあるでしょう。また、結果が先に決まっているような研究もあるでしょう。つまりデータを改ざんしたり、ほとんどない差を大きく見せるような工夫をするわけです。生のデータを出すことはほとんどないので、悪い結果になりそうなデータは適当な理由を付けて削除すればいいですし、どんなことだってできます。

エビデンスが科学的な証拠になるということを利用して、ウソのエビデンスを作り上げて、自社の製品を売りつけることや、学会で力のある大学の教授を囲い込んで、お金を渡し、商品のセールスマンになってもらうということが横行していると思います。毎年数千万円もらっていれば、宣伝する気にもなるでしょう。

だからn=1のデータも非常に貴重になるとも思っています。そして、エビデンスにはならないまでも江部先生がおっしゃっているように、「生理学的事実が明確であれば、それを根拠に論理的に展開していけば科学的真実にたどり着ける」ということも同感です。

糖質制限に関してはどちらかというと製薬会社などが関わりにくい研究になります。それは、糖質制限は薬を必要としていないからで、糖尿病や高血圧や脂質異常の薬はどんどん中止が可能になります。だから糖質制限の有効性に関するエビデンスは製薬会社が絡むエビデンスよりも信ぴょう性が高い可能性があります。

糖質制限を勧める世界中の人たちは、巨大な力に立ち向かおうとしています。インターネットが発明されて、小さな力が巨大な力に少しずつ対抗できるようになってきました。

エビデンスは使い方次第でしょう。今回の週刊新潮のように人を騙すときにも、本当はエビデンスではないものをエビデンスであるかのように見せることもできます。データを操作すれば自社製品に有利なエビデンスがイッチョ上がりです。研究に直接社員を送り込んでいた製薬会社もあったくらいですから。対象の人数が少なければ、結果の信ぴょう性は弱くはなりがちですが、それも大事にすることも必要かもしれません。真実が見えにくくなっているので、今の世の中ではエビデンスは本当に難しいです。

最後は自分自身で考えましょう。

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