以前の記事で、「鉄不足だからと言って鉄のサプリメントを飲めば良い、ってもんじゃない!」というのを書きました。鉄は全ての生物のすべての細胞の増殖や成長にとって不可欠なものです。鉄がなくては生きていけません。しかし、不都合なことにこれはがん細胞にとっても同じことです。がん細胞が発生して、増殖や成長するのにも鉄が必須なのです。
鉄については実はまだわからないことだらけなんです。鉄の腸での吸収に関してさえまだ未解明のところがあります。そして、鉄の代謝を調節するタンパクなどはやっとここ10数年で解明が進んでいるところで、まだまだ不明な点がいっぱいあります。
鉄欠乏は世界的に問題であり、健康を害する一つの深刻な要因です。
ピロリ菌感染は鉄の吸収を低下させます。胃酸を抑える薬も鉄の吸収を低下させます。そうすると摂取する鉄を増やすべきか、吸収を上げることを考えるべきかという選択になります。吸収が上がらず、鉄が腸管に残れば、その鉄が腸に悪さをします。(「鉄のサプリメントとうんこの関係」参照
フェリチンについても細胞内だけでなく、細胞外にもたくさん存在し、その細胞外のフェリチンの役割についてはまだかなり未解明な部分を残しています。一つ最近わかったことに、フェリチンは血管新生を促進します。傷などを治す際にはこのことは有益に働きますが、がん細胞にとってもフェリチン増加による血管新生の促進は重要になります。がんが成長するには血管新生が非常に大切ですからね。
そして、もともと正常な細胞の鉄代謝に重要な役割を担っているタンパク、がんにおいても重要な役割を担っています。恐らくはがん細胞は鉄を自分が上手く利用するようにいろいろな罠を仕掛けて、そのタンパクの活性を上げたり、下げたりしています。
例えば、正常な上皮細胞はトランスフェリン受容体とヘプシジンの活性を下げて、フェロポーチンの活性を上げて、細胞内の不安定な鉄を減らしています。しかし、がん細胞はトランスフェリン受容体を活性化させて増加させ、ヘプシジンを増加させて、フェロポーチンを低下させることにより、細胞内の封安定な鉄を増やすメカニズムを持っています。また、通常は過剰な鉄はフェリチンによって、安全に収納されていますが、がんの遺伝子はフェリチンを低下させることもあるようで、それにより、不安定な鉄が増えて、増殖に使われることも示唆されています。
今出てきたフェロポーチンとヘプシジンは非常に重要で、乳がんでは予後を左右すると言われています。つまり、フェロポーチンが低値であり、ヘプシジンが高値であるほど、乳がんの予後は悪いのです。さらに「鉄遺伝子」と呼ばれる鉄の代謝に関連する機能を有する遺伝子は非常にたくさんあり、その遺伝子発現の有無によっても乳がんの予後は変わってくるということです。がんは通常の鉄のホメオスターシス(恒常性)のコントロールを無効にして、鉄の多くの部分を獲得するのです。
多くのがんの患者さんは慢性の貧血とそれによる症状に苦しんでしますが、これはがんと闘うための防御機構とも考えられています。がん細胞から鉄を奪うため、がんの成長を抑制するのです。だから、安易な輸血はがんに元気を与えてしまいます。もちろん、一時的には患者さんは元気になる場合もありますが…。
鉄はがん治療の標的であり、鉄を枯渇させることにより、がんの増殖を抑える治療があります。
体内の鉄の増加とがんのリスクは関連していますし、鉄の摂取量の増加といくつかのがんのリスクの増加は関連しています。
鉄が安全なんて全くのウソです。原子力発電が安全だと言う人もいました。しかし、福島の事故が起きて、全くのウソだとわかりました。何もないときは確かに安全に感じるかもしれません。しかし、潜在的な危険性が高いというのが事実です。他のものでも同じで、少なければ問題だけれども、多すぎても問題になることはいっぱいあります。安全と思われていても、どこかに破たんを来せば、その安全神話はすぐに崩れてしまいます。
「がん」は普通ではないので「がん」なのです。普通の状態が破たんするから「がん」になるのです。奴らは通常のメカニズムを悪用したり、スキをついたり、メカニズムを改変したりして自分たちの都合の良い方にします。通常では健康に良いと思われるようなことでも、がんにとっても好都合で、逆にがんを成長させる場合もあります。
いま困っている症状を改善することは非常に重要です。しかし、何にでもリスクを伴っているということを良く考えてください。よく「漢方は副作用がないから」と言う人がいますが、全くのウソです。サプリメントでも同じことが言えます。人間は一人一人遺伝子が違うので、人によって必要な栄養素の量も異なります。同じ量の栄養素を摂っても、ある人には有益に、ある人には有害になることは珍しいことではありません。また、人間にはまだまだ未解明のことの方が多いのです。20年前には当たり前だったことが誤りだったというのも珍しくはありません。
この世の中に「安全」なんてあるのでしょうか?誰も保証してくれない「安全」に惑わされず、自分自信で考えましょう。