先日、芸人の方が手術後のストレスが要因でうつ病を発症したとして休養されました。発表によると、「昨年6月末、頚椎椎間板ヘルニアの手術を受け、継続的な内服の必要があるため、同年7月10日から10日間の休養を取っていた。手術の経過は良好。一方で手術の“侵襲(しんしゅう)”という普段の生活圏にはないストレスが要因でうつ病を発症した」とのことですが、この発表は私には違和感たっぷりです。
まず、手術の経過が良好であれば、継続的な内服はもはや必要ではありません。現在内服しているかどうかはわかりませんが、恐らくは内服中だと思います。つまり、術後の経過が思わしくないのであろうと思われます。しかし、そのように発表すると、手術した医師は誰だ?と犯人捜しのようなことが起きるので、「良好」と言っているのでしょう。また、手術侵襲でそれがストレスになりうつ病を発症、というのもなぜ1年後?と感じます。手術侵襲によるストレスは手術直後が最も大きく、段々と楽になるのが普通です。ここからも経過が思わしくなかったと推測できます。
しかし、そもそも、患者さん側と医師側の術後のイメージの「ずれ」が非常に大きく、それが経過に影響する場合も少なくありません。医師側は、これ以上症状が悪化しないための手術であった可能性もあります。その場合、手術により症状は大きくは改善しなかったり、一部しか改善しないこともあります。例えば、痛みはかなり軽減したが、しびれは残ってしまった、など。しかしそれでも医師側は手術は成功です。
一方、患者さん側は手術に過大な期待をしている人もいます。手術をすればすっかり、元の何もない状態に戻る、と思う方もいます。そのようなイメージを持っていた場合、手術後の経過はあまり良好ではなく、残った症状に苦しみを感じる方もいます。そうすると、それが精神的なストレスになる可能性は大いにあります。
脊椎の手術をした後の、残存した症状や、術後の新たに起きる症状で苦しんでいる方は実は大勢います。その一つの原因は、手術前にしっかりと術後の残存すると考えられる症状や、手術を受けたからこそ起きる可能性がある症状を患者さんに理解してもらっていないことから起きる場合が非常に多いと思います。
健康な人では、背骨の周りの筋肉、傍脊柱筋はタイプIの線維を多く含みます。タイプIは持続的な収縮の可能な遅筋線維です。瞬発的な収縮の可能な速筋線維タイプIIよりも直径が比較的大きく、姿勢と関節の安定性維持における役割を反映しています。しかし、慢性腰痛の患者さんの傍脊柱筋に見られる異常には、タイプII線維の萎縮、タイプIからIIへの転換などが認められています。つまり、持久力があるタイプIの割合が減り、さらに筋肉量も減少してしまっているのです。そうすると、疲れが出やすく、腰痛を発症しやすくなるのです。
さらに、傍脊柱筋の筋肉が脂肪に変性してしまうこともよく認められます。私は多くの慢性腰痛の原因はこのような筋肉の量が減少し、質も悪くなり、脂肪に置き換わってしまうことで起きると考えています。
そして、この筋肉の脂肪変性は手術後にもまれではありません。下に挙げる論文は腰椎の手術に関するものです。(図は原文より、表は原文より改変)
上の図は傍脊柱筋の断面積です。MMIAというのはできる限り傷などを小さくした低侵襲手術、TOPAは従来の大きく皮膚を切り、筋肉を開いて行う従来の手術です。pre-opは術前、post-opは術後です。そうすると右側の従来の手術では術後の筋肉の断面積が大きく減少していることがわかります。
上の写真は48歳の女性患者で従来の手術を受ける前後のMRIです。赤い矢印の辺りが背骨の周りの筋肉(傍脊柱筋)です。黒い方が筋肉が多く、白い方が脂肪が多いと考えてください。左が術前で霜降りの状態ですが黒い部分が多く、脂肪浸潤グレードBです。右側は術後12ヶ月で、ほとんど黒い部分がなくなっていて、脂肪浸潤グレードDです。
筋肉が脂肪に置き換わる脂肪浸潤のグレード分類は次のようです。グレードA、正常な筋肉。グレードB、筋線維間に脂肪組織がまばらに分布している。 グレードC、脂肪組織と筋肉線維とはほぼ同じ割合。 グレードD、筋肉線維より脂肪組織が多い。
低侵襲手術 | 従来通り手術 | |||||||
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A | B | C | D | A | B | C | D | |
術前 | 5 | 13 | 4 | – | 6 | 14 | – | – |
術後 | – | 8 | 10 | 4 | – | – | 6 | 14 |
上の表は脂肪浸潤の術前術後のグレードの人数です。低侵襲手術の術前ではA~Cですが、術後はAがいなくなりB~Dになりました。従来の手術では術前がA~Bだったのに、術後はAとBはいなくなり、全員がC~Dとなり、多くはDまで悪化しています。つまり、いくら低侵襲の手術であっても筋肉の脂肪変性は少なからず起きるのですが、従来のような手術を受ければ、脂肪変性は必発であり、しかも非常に重度の脂肪変性を起こすのです。
今回あげた論文は腰椎の手術のものですが、このような現象は頸椎でも同じです。そして、脂肪変性してしまうと、非常につらい症状となる場合が多いです。腰であれば非常に重だるい慢性の腰痛となり、休んでも持久力もなくすぐに腰が疲れ果ててしまいます。頸椎の場合は首の後ろから肩にかけて、非常に強い肩こりのような症状がずっと続くのです。患者さんの中には手術前よりもつらいという方もいます。
そして、最も問題なのは、私の外来に受診した人で、このような手術後の症状を訴えた方で、手術前に執刀医から術後にはこのような症状が起きる可能性が十分にあります、という説明を受けた人は一人もいませんでした。つまり、手術により傍脊柱筋の脂肪変性はほぼ必発であるにも関わらず、そのことの説明がまったくされていないのです。もちろん、ちゃんとした医師は説明しているはずです。しかし、私は説明を受けたという患者さんに出会ったことがありません。そして、患者さんに筋肉の脂肪変性が起きていることを伝えると初めて聞いた、と一様に答えます。では、この症状をどのように説明されてきたのかを聞くと、ほとんどが「手術は成功した」「気のせい」「そのうち良くなってくる」などの言葉が多く聞かれます。症状をずっと伝えても取り合ってもらえず、精神科や心療内科に回されてしまうこともあります。
もちろん推測でしかありませんが、今回の芸人さんも何となくこのようなコースを歩んできた気がします。
そして、この症状に効果のある薬は存在しません。しかし、整形外科やペインクリニックでは非常に安易に、リリカやトラムセット、サインバルタが処方されます。効果がなければ薬が増えていきます。この3種類の薬全部を飲んでいる人もいます。そして、以前の記事「リリカで自殺行動リスクが上昇」で書いたように、リリカには非常に深刻な副作用が存在します。もちろん、うつ病も副作用で起きることもあるのです。「サインバルタ慢性腰痛症に適応拡大」に書いたように、サインバルタにも自殺や攻撃性の副作用があります。
脊椎の手術を受ける前に、術後にはもしかしたら、つらい腰痛や肩こりが起きるかもしれないことを、ぜひ知っておいてください。そのことを説明しない医師は術後にもその症状に対処すらしてくれない可能性があります。どの症状が良くなる可能性があり、どの症状は残存する可能性が高いのか、手術により新たに起きると考えられる症状は何なのか、などを十分納得して手術を受けてください。知らずに手術を受けて、術後に苦しむ場合の症状は2倍にも3倍にも感じるかもしれません。
「Comparison of paraspinal muscle injury in one-level lumbar posterior inter-body fusion: modified minimally invasive and traditional open approaches」
「1椎間の腰椎後方椎体間固定術における傍脊椎筋損傷の比較:修正された低侵襲的アプローチと伝統的なオープンアプローチ」(原文はここ)
いつも楽しく拝読しておりますが この記事は興味深く読ませていただきました。というのも 先月右腕の筋肉痛が激しくなり 近くのペインクリニックへ行ったところ 加齢による頸部椎間板ヘルニアと診断されたからです。院長のドクターからは 枕を高くして寝る 上を見上げることを少なくするなど 椎間板を圧迫しないようにして生活し 薬は使わないようにしましょうと言われて 以後 過ごしています。今回の記事を拝見して 検査後に解説されたレントゲンやMRIの画像の白い部分も やはり脂肪に変節したのかな と思いめぐらせておりますが ドクターの著書の画像写真や解説を読む限り こういう症状もやはり糖質過剰摂取の結果なのかと考えております。診察していただいたドクターからは「加齢による」と言われましたが 50代前半まで とりわけ20代30代には糖質過剰の食生活をしていたので その蓄積でこのような結果になったのかと 後悔先に立たずですが この経験も ドクターの一つの参考資料としていただければと思い コメントいたしました。
齊藤克弘さん、コメントありがとうございます。
症状が良くなると良いですね。
加齢といえば、加齢ですが、糖質過剰摂取をしていなければ避けられた加齢性変化もいろいろとあると考えています。
貴重な情報ありがとうございます。