今日はなんとなく昔話、思い出話です。大した内容ではないので、興味がない方は読まない方が時間の無駄にならなくて良いと思います。

今日5月5日で私は55歳になりました。5が並んでなんとなく縁起がいい気がします。5は私のラッキーナンバーです。こんな私にも若かれしころがありました。

私は20歳で北海道にやってきました。そのまま北海道に居ついて30数年です。早いものです。不安と期待が複雑に入り混じって一人暮らしを始めました。そこまで運動が得意ではない私は、それでもなんとなく運動系の部活に入りたいと思っていました。しかし、当時はまだ先輩後輩の関係が厳しい時代。私はそのような関係があまり好きではありませんでした。また、特別頭の回転が速いわけではなかったので、勉強についていけるかどうか非常に不安でした。

医学部では、医学部だけの部活が存在しています。いくつかの部活を見ましたが、やっぱり入るのをやめました。

そんな中、その後私は親友と思っている(彼も思っていてくれていたと思いたいですが、今は確かめようがありません)友人と出会いました。コテコテの関西人。なんとなく馬が合って、同じ時間を過ごすようになりました。彼は非常に人間的に魅力的でした。そして、彼とは趣味が一致してさらに仲が深まったと思います。その趣味は音楽です。音楽と言っても音楽制作です。

大学に入る前に当時は超有名だったYAMAHAの「DX7」というキーボードに触れ、キーボードの魅力を感じていました。大学で彼に出会った後、彼に誘われるように、バイト代をためて、親を少しだまして、知る人ぞ知るKORGの「M1」を手に入れました。当時のプロのミュージシャンの誰もが使っていた名器です。その当時打ち込みというのが流行り始めていました。データを打ち込んで自動演奏ができるのです。その機能をシーケンサーというのですが、このM1にはシーケンサーが内蔵されていたのです。確か8トラックだったと思います。もう、毎日キーボードで遊び倒していました。

しかし、そのシーケンサーは非常に使い勝手が悪く、パソコンを使ったシーケンサーが欲しくなりました。しかし、当時のアップルのマックはものすごい高価なもので、手が出ません。そこで非常に安いATARI(ゲームの方が有名ですが)というメーカーのパソコンと、シーケンサーソフトの「Cubese」を何とか買いました。このCubeseは今でも存在しますが、当時はものすごい画期的なソフトでした。

私は子供のころエレクトーンを習わされていました。(自発的に習っていたわけではありません)だから音符は読め、少しは鍵盤を触ることはできましたが、演奏はあまりできない状態でした。それでもシーケンサーはゆっくり弾いても、データの打ち込みでも音楽を奏でてくれます。今ではボカロ(ロカボではありませんよ)が自動で歌ってくれる時代ですが、当時は歌を吹き込むにはMTR(マルチトラックレコーダー)が必要でした。

友人はオープンリールのMTRを持っていました。そこで、大学とは無関係の音楽を作ることが好きな仲間が集まって時折音楽制作を行っていました。その中から一人はプロにまでなりました。友人の家はアパートなんですが、そこで録音をしていたので、恐らく他の住民の人は非常にうるさく迷惑だったのではないかと思います。

私は現在で言えば「GReeeeN 」のような2足のわらじを履きたかったのですが、なんせ歌も下手だし、音楽の才能もなく、普通の医師になりました。

医師になるときもその友人に誘われ、現在の診療科に入局することに決めました。学生の頃は外科医になろうかと思っていたのですが、腰を痛めた後、なんとなく(なんとなくばかりの人生ですが)外科医は難しいかな?と思い、でも内科医のガラでもないな?とも思っていました。

その彼と1年目は一緒に大学病院で研修を受け、2年目はそれぞれ地方の病院へ行きました。その医師になって2年目に、ある日その友人から電話がかかってきました。いつもは本当に関西人らしく、楽しいやつなのですが、その時はなんとなく雰囲気が違っていました。

健康診断か何かの血液検査で引っかかったようでした。しかし、そのデータを聞くと、胸が苦しくなるような思いでした。彼は悪性の疾患だったのです。電話の向こうとこっちで2人でしばらく泣いていました。その後何を話していたかは覚えていません。

その後彼は治療を受けていましたが、私は彼に会うことが怖くて怖くて仕方がありませんでした。非常に情けないです。医師なのに。彼の方が比べものにならないほど怖かったと思いますが、私の方が逃げていたと思います。

しかし、もちろん何度か彼と会うことができ、いろいろな話をしました。彼は闘病記をずっとネットに掲載していたので、段々と死が迫っていることもわかっていました。彼が死ぬ間際にもメールをもらいました。その内容はここでは書けませんが、思い出すだけで、今でも泣けてきます。もう何年が経ったのだろう。20年近いのかな?

彼の存在は私の中では大きすぎて、今でも様々なことを思い出します。闘病中に彼に聞いた話は今の私の考えの根底になっているものもあります。潜在的には出発点かもしれません。

そしてなんと最近、約30年のときを経て、彼とその仲間たちと作っていた曲を録音したものが残っていて、本当に偶然にも私はそれを手に入れることができました。感動と懐かしさ。その当時を鮮やかに思い出すことができる貴重な宝物のようなもの。他の人が聞いたら、変な曲と思うかもしれませんが、古い言葉で言えば「青春そのもの」ですが、これが「若気の至り」なのでしょうか。

手に入った曲は2曲です。1曲は作詞作曲は私自身で、歌は他の人に歌ってもらっています。(その方はモノマネ番組に出たり、地元のテレビやラジオに出たりしながら夢を追っていました。)演奏の一部は私の亡くなった友人です。それ以外はシーケンサーでキーボードなどが自動で演奏してくれています。もう1曲は作曲が私で、作詞は現在はプロ(なのかな?)の当時の音楽仲間に書いてもらい、歌はのちにプロデビューを果たした女性に歌ってもらっています。この女性が誰かわかる人はものすごい彼女のコアなファンでしょうが、コアなファンでも恐らくわからないかもしれませんね。この曲も一部(Jazzyなplay)彼が演奏を行っています。

今ではパソコンを使えば簡単に多重録音はできますが、当時は大変でした。わかる人にはわかると思います。

ほんの少しだけプロになるのを夢見ていたころの大切な曲。これらの曲を聴くと、彼の顔、表情、その時の情景、その時の会話など、様々なことが色鮮やかに蘇ります。人間の脳、記憶はすごいですね。

こんな曲をみなさんに聴かせていいのかどうかはわかりません。凹むので悪いコメントはご勘弁ください。興味が湧いたら聞いてみてください。

「Sha la la」(シャララという言葉とは裏腹(?)の失恋ソングです。)

「Kiss in TYO」(遠距離恋愛を歌った曲です。TYOというのは東京を表す都市コードです。)

 

人生いろいろなことが起こります。本当に予期せぬことが起こることもあります。私は弱い人間なので、強くなんか生きられません。でも、何とかこれからも前に進みたいと思います。

(せっかくYouTubeのチャンネルを作ったので、できれば少しずつ動画を上げてみようかな、と思う55歳のひとりごとでした。難しいかな・・・?)

12 thoughts on “むかしむかし・・・”
  1. 清水先生
    端午の節句のお誕生日おめでとうございます
    ご両親様は、この日に産まれて来てくれたことをとても喜ばれたのではないでしょうか。

    いくつになっても、心身ともに健康で誕生日を迎えられることは素晴らしいことだと思います。なので私は毎年誕生日には家族でお祝いしています。

    そして、この世に生を与えてくれた両親に感謝します。

    亡くなられたご友人は、先生にとって「腹心の友」。

    そのような方に出会えたことは一生の宝物だと思います。

    1. appleさん、コメントありがとうございます。

      若い頃は感謝なんて言葉はあまり知りませんでした。(笑)
      でも今はなにげない普通の日々を過ごせることが幸せですし、感謝です。
      年をとったんですね。

  2. 順風満帆に見える先生の人生にも辛い時期があったのですね。だからこそ、先生のブログは素晴らしいのでしょう。僕も10年前に高校時代からの親友を亡くしました。僕は4年の浪人後に北海道の大学に入学、留年やらなやらで7年後に卒業。その親友は5年の浪人後に大阪の大学に入学、6年後に卒業。どちらも高校卒業後11年で就職。彼は高校時代は全共闘の闘士でした。高校封鎖事件を起こしたりしました。教師になるのが目的で卒業後は中学の教師になりました。当時は中学が荒れに荒れた時代。学生運動の補導歴でなかなか就職が決まらず、荒れた中学から声がかかりました。生徒の暴力で先生が学校に来なくなるのです。産休臨時採用という名目で採用されました。その学校ではトイレの便器は全てが壊されて2階から物が投げ落とされるのが日常茶飯事。その学校をキレイにして、他の中学に転職。そこでも、暴力沙汰の生徒を矯正し、酷い生徒に手をかけたことで新聞沙汰になりました。保護者からはたくさんの手紙が届き、そのほとんどが「よくやってくれた。」という励ましの手紙だった。その彼も教師としての役割はここまでと感じて市会議員になって活躍していた矢先、癌で倒れました。太く短く生きた彼の人生。「佐藤訪米阻止」なんて立て看板を思い出します。本気で国民が彼らの意見を聞いていれば、核の密約も、今の沖縄の現状も少しは良かったのではないかと思います。徒然なるままに書いてみました。

    1. アラジンさん、コメントありがとうございます。

      長い人生山あり谷あり。順風満帆の人生を送れる人なんていないのではないでしょうか?

  3. お誕生日おめでとうございます。

    先生のお話しで、自分の「青春時代」も少し思い出しました。

    糖質制限で一生青春、が理想です。

    1. 鈴木 武彦さん、コメントありがとうございます。

      ありがとうございます。
      昔話をするようになったら、年をとった証拠なのかもしれませんね。

  4. 誕生日、おめでとうございます。清水先生は1967年生まれということになるのでしょうか。

    今回の記事で先生が吐露されている内容について、以前の先生の記事『私、以前は糖質依存症でした』の中で紹介されていた、白血病で亡くなられた御友人とは別の方でしょうか・・・?

    今日もまた、炭水化物を厳格に制限する食生活を送っています。

    1. クリードンさん、コメントありがとうございます。

      ありがとうございます。

  5. 清水先生、お誕生日、おめでとうございます。

    これまで先生の記事を読んでいて、文面からは清水先生は強い方という印象を持っていました。しかし、今回の記事からは、これまでには見えなかった先生を垣間見たように感じました。一方で、先生は、ご友人とのことを通し、それを乗り越えることで、大きくなられたのだと思いました。
    それと同時に、自分のことを考えました。私は周りからは人付き合いがいいように見られるのですが、実は人付き合いは苦手で、子供の時からそのギャップがストレスになっていました。今でもそういう悩みはありますが、今まで何とか乗り切ってきたのだから、これから先も何とかなると思っています。

    色々と考えさせられました。これからも先生の記事を楽しみにしています。

    1. じょんさん、コメントありがとうございます。

      ありがとうございます。人生いろいろですね。

  6. シミズ先生、お誕生日おめでとうございます!
    シミズ先生の青春時代に少し触れられて嬉しかったです。
    2曲とも素敵な曲でした(*^^*)

    1. ミホさん、コメントありがとうございます。

      ありがとうございます。お恥ずかしい・・・

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