私を含め、医師を含め、みんな人間の体のことについては無知です。人間のトリセツは存在していません。部品を組み合わせて作られた機械と違い、人間は複雑な製造過程で自分の体内で、食事から得られた栄養素や自分の体内の部品を分解したものをもとに様々な部品を作り出します。
様々な栄養素は様々な体内のメカニズムに関連しています。車であればガソリンはガソリンとしてだけ働き、エンジンオイルはエンジンオイルとしてだけの役割ですが、人間の中では、ある物質が様々なことに関与していることが普通です。人間の体は食べたものでできているので、その中の成分は限られており、一つの成分がいくつもの代謝に関わらないと成り立ちません。
しかし、人間のメカニズムについて我々はいくつものことを知っているつもりですが、実際には全体のごく一部です。まだまだ解明されておらず、知らないことが多いのです。医学の教科書に載っていることも仮説がもとになっていることも珍しくありません。だから、私が学んだ20~30年前の医学の知識はすでに否定されたり、さらに細かいことがわかったり、他の物質との相互作用がわかったりしています。現在の医学部の学生は我々の学んだことの3倍くらいの知識を必要とするかもしれません。
医師も仮説の中で議論をしています。古い仮説は破棄され、新しい仮説が生まれることもありますが、知識をアップデートしないと古い仮説のまま医療を行うことになります。ただ、アップデートした知識が正しいという保証はありません。
エビデンスは自分のやっている医療行為を正当化するための道具となっていますが、エビデンスは個人差を見えなくしてしまっています。それぞれ違う反応を示すことが、データを分析する上で個人差は薄められたり、埋もれたりしています。また、一部の人は論文を書くことが仕事になってしまい、あまり意味のない研究を行ったり、統計遊びのような論文も少なくありません。スポンサー企業の結論ありきの研究も少なくありません。
医師や研究者ではない人にとって、エビデンスはどうでもよく、自分が良くなるかどうかが問題です。
人間のメカニズムはあまりに複雑すぎて、それぞれで違うことが当たりまえです。何か薬やサプリを飲んでも、その反応はそれぞれです。そこにさらに複雑にさせるのはメンタル面です。人間はメンタルが大きく関連するために、気持ちだけで反応が変化します。それがプラセボ効果だったりします。最近の多くの薬、そしてサプリはプラセボ効果が非常に大きな割合を示すものが多いと思います。(「プラセボ(偽薬)だとわかっていても痛みは減らせる」「うつ病にはプラセボ(偽物の薬)がめちゃくちゃ効く!」など参照)
以前の記事「心臓のステントの治療で、プラセボと比較するなんて…ステントもウソか?」で書いたように、心臓のステントの治療でさえプラセボ効果が非常に大きいという研究もあります。
プラセボでも効けばいいと思うかもしれませんが、その薬やサプリのリスクも考えないといけません。リスクがあるのであればプラセボの効果しか得られないのであれば必要ないばかりか有害です。
プラセボについてはやはり研究を行うしかありません。そして、最近の多くの薬は大部分がプラセボ効果で、ちょっぴりの薬の効果があるかどうか、というのが多く、製薬会社の様々な働きにより「統計的な有意差」を何とか出している状態だと思います。
では、エビデンスは必要ないか?というとやはり必要でしょう。エビデンスのない医療にはどうしても似非医療が入り込むからです。似非ではなくても、動物では効果が得られたとしても、人間では効果が得られないことを、あたかも人間で効果があるように言う人も出てくるからです。三石先生の理論は非常に面白く、いくつか本を読みましたが、実際に彼の理論はどれだけが人間で証明されていることでしょうか?動物実験での理論も非常に多くあるのではないでしょうか?普段「人間とネズミは違う!」と言っておきながら、動物実験を基にした理論をすべてを人間に当てはめるわけにはいきません。特に食事や栄養面では違いが大きいこともあります。もちろん多くのことも共通するメカニズムがあるので、それについては問題ないこともあります。人間では実験できないことも多いですし。また、有害な作用についてはやはり多くの人間の症例を集めないとわからないことも多いので、自分では無理なので論文は役に立ちます。
医学研究や論文をやたらと目の敵のようにしている人もいますが、そうせざるを得ない事情がおありなのでしょう。自分たちの仮説のエビデンスももちろんないでしょうし、実際にちゃんと研究をしたら効果がないことがばれてしまう可能性があるからなのかもしれません。
糖質制限も最初はもちろんエビデンスはありませんでした。新しい考えには最初はエビデンスがあるわけがないのです。しかし、日本では江部先生などが一生懸命に努力され、様々な情報を提供して、自らの人体実験などの結果も提供してきました。思わしくないであろうと思われる反応に対しても、その対応などをその都度説明されています。糖質制限の背景の理論もしっかりと説明され、ブログなどで一人一人の疑問にも今でも誠実に回答されています。そのようなことは世界中で行われ、今や世界中で様々なエビデンスがどんどん出ています。エビデンスがこれだけ出てくるということは、糖質制限の正しさに他なりません。逆に言えばエビデンスが出てこないものは、正しくない可能性が高くなります。
では以前の記事「ナイアシンは安全か? その1」「その2」で書いたように、ナイアシンについてはどうでしょうか?ナイアシンの有益な効果のエビデンスは多く、確かに様々な効果があると思います。しかし、その一方で記事にあったような有害性の報告も多数あります。糖質制限のように非常に新しい内容だから論文がこれまで書かれいなかった、というのとは事情が違います。つまり、ナイアシンの毒性については以前からわかっていたのです。死亡例さえわかっていたのです。ナイアシンを推奨する方は、このリスクについては十分に説明されていますか?いっぱい報告が出ているのに「大したことはない」「一時的だ」「ビタミンだから安全だ」とは本当であれば言えないでしょう。論文を軽視するのは構いませんが、推奨する以上そのリスクとその対処法などは十分に説明すべきだと思います。それとも論文を軽視しすぎてこのような論文が出ていることすら知らないのかもしれません。知っていて隠すよりは良いのかな…?
医療現場では一応考えられるリスクとベネフィットを両方説明し、本人の判断に委ねるということになります。そこでは質問もできます。(質問させない医師もいますが)ネットやSNSでは、いろんな情報があふれています。私のブログもその一つです。その内容を自分で採用するかどうかは個人の判断に任されています。自己責任です。しかし、ネットの世界の情報ではもしかしたらあえてリスクは隠されている可能性もあります。そうすると正しい判断は難しくなります。
医師を含めみんな人間の体のメカニズムに対しては非常に無知です。まだわからないことだらけです。だからこそ、様々な情報を得て、少しずつ解明して、アップデートしているのです。現在の知識で断言できることのほうが少ないでしょう。現在わかっていることだけで仮説を組み立てるから、予期せぬ副作用が出てくるのです。新しいことがわかれば、仮説が変わり自分の考えを変えることは何らおかしなことではないです。
ナイアシンなど一部の栄養素は本当に必要な人もいるでしょう。しかし、多くの人は大量に必要としているとは思えません。もしほとんどの人が大量に必要だとしたなら、人類は現在存在していません。進化の過程では食べられないことは珍しくなかったでしょうから。
薬にしても栄養素にしても、体の中に入ったら代謝されます。大量に摂取すれば、どこかの臓器や代謝のメカニズムに負担がかかります。水溶性のビタミンは過剰に取りすぎても尿中へ排泄されるため副作用はないという人がいます。尿中に排泄されるといっても腎臓はザルではありません。様々なメカニズムが働いています。本当に有害な作用はないのでしょうか?
次回は大量のビタミンCによる、非常に少ないかもしれませんが、「以前からわかっていた」重大な副作用について書きたいと思います。知っている方も多いかもしれません。ナイアシンと同じように多くの人には安全でしょうが、中には重大な有害作用を示す方もいて、死亡例もあるのです。そのことをちゃんと知ったうえで使用していますか?
刺さりました。
私は盲目なっていたと言わざるを得ません。
カエサルは「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない。」とおっしゃっています。
いくつか疑問に感じていたからこそ今日の記事が刺さったのだと思います
少し冷静に自分の頭でじっくり考えてみたいと思います。
後日、リブレでのナイアシン摂取時の血糖値と、止めたあとの空腹時血糖値と中性脂肪を報告したいと思います。
カーコさん
何かを考えるきっかけになったのなら幸いです。